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更新頻度は気分

贅沢な時間

 受験が終わってからというもの、友人と何も考えず東京を彷徨ったり、ベッドに篭ってだらだら趣味のことでネトサしたり、夜食事に行って家族と他愛もない会話を交わしたりする「無意義」な時間を過ごしている。僕はこの一年間の、高三の頃よりはずっとましだと思っていた精神状況が、それでもいかに抑圧されていたかを知った。

 それで僕は要するにいま真の自由なのである。この自由の価値は抑圧下に置かれた経験がないと得られないものなのかもしれない。一日一日が喜びに溢れ、このゆったりと流れる時間がたまらなく愛おしい。僕には今一遍の気持が何となくわかる気がする。極楽浄土なんてまるで信じてはいないけれど、この一瞬一瞬が喜びに溢れ、踊ってしまいたくなるような感覚は、まさに踊り念仏であり、そこにはこれ以上の欲なんてあってないようなものだから——今が幸せの絶頂なのだから——捨聖はものをもたないのだ。当然一遍は「念仏を唱える度に極楽浄土へ舞往ける」という意味で幸せなわけだが、実際死後など無いのだから彼はその瞬間の空想の中で最も幸せだったと言える、というのは僕の妄想に過ぎない。

 贅沢な時間。ある女はパイプを持って撲る。或いは手首を狩る。そうやって生を確かめる。均質化された世界の中で、自分の名前を呼んでいる。「誰か」の裏側につきまとう、己の存在。ある男は見えない何かを追い求め、崖から落っこちて死ぬ。或いは永遠の砂漠。そして霧……何もかも見えない世界の中で、必死に何かを見つけようとする。

それは、或いは明日の日の僕なのかもしれない……